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おもひで

高校を出るとき進路えらぶじゃない
めぞんで保父とかいう仕事みつけて
こういう仕事がしたいな、と思ったわけですよ

しかし、世は「宮崎勉事件」
(こないだホリエモンの陰に隠れて死刑確定)
で、そんなことなかなか言い出せる風潮ではなく
社会福祉科受けたらそういう道も選択できる、と
そればかりを信じて介護の道へ

かとちんと2年過ごした専門学校時代の恩師が
「まだその道に間に合う」と言ってくれ
今度は保育科のある短大へ

就職時、世は不況の嵐
あちこちで絶望的な結果を聞く中
短大の先生の紹介で
都内の保育園に面接に行きました
緊張していたので後ろに手を組んで
ピーンと気をつけをしていたら
「あら、あなた
男なんだから後ろに手を隠してたら
殴られるかもしれない、って
思わせるかもしれないでしょ
手はこう、ひざのうえあたりに・・・」と
面接時から社会勉強をさせてもらいました

その園長先生が
今日なくなられたそうです

戦後スグからの東京の保育を作っていった大立者で
そういう人々のおかげで団塊の世代はおおきくなっていったそうです
東村山での園長生活のあと
都内の保育園で呼ばれ
そして、うちを辞めた後、また東村山にて
必要とされたということで呼ばれ
一生現役の保育者で過ごされた思います

園長室は子どもが自由に出入りできるように出来ていて
乳児で泣く子が預けられていたり
年中組の泣き虫さんが甘えにきたり
ブロックで出来た大作を飾ってあったり
ちいさなお地蔵さんがあって
宗教的な意味は何にも無いんですが
「なむー」って手を合わせた子には
肝油のごほうびがあったり
そういう保育園でした

出勤名簿の脇にあった言葉で
「子ども叱るな来た道だから
年寄り笑うな行く道だから」
「山河は変わりやすく 人間は変えがたい」
これは座右の銘として
いつでもココロにおいてあります

3年でもたずに辞めてしまった若輩でありますが
ご一緒意できた時間は
社会を知らないバカモノを
なんとか人間に変えてくれたと思います
おかげさまで背筋も前かがみになり
人当たりの良い、と職場で
ジジババに評判です
園長先生 どうかご健やかに
私が一番尊敬している保育者はあなたでした
コレまでの導きを忘れないよう
一生懸命その背中を追わせていただきます
ありがとうございました

by route13000 | 2006-03-09 00:16 | 有象無象